2007年10月11日
池田屋騒動 新撰組の足取り

2007年10月11日
池田屋騒動 新撰組の足取り

幕末に起こった池田屋騒動。
新撰組の足取りを追ってみました。




「池田屋騒動」のあらまし

元治元年(1864年)六月五日夜、長州藩士の定宿だった「池田屋」には、長州藩士を主とする尊攘派の志士三十数名が集まっていました。彼らが集まったのは、同士の古高俊太郎が、この日朝早く新撰組に捕らえられたことについての対策を打ち合わせるためでした。しかしこの秘密の会合は、新撰組によって襲撃され、多数の死者・逮捕者が出ました。この池田屋騒動によって、新撰組は尊攘派の志士たちに壊滅的な打撃を与えるとともに、全国にその名をとどろかせました。


1 古高俊太郎が捕らえられる

池田屋襲撃の約16時間前

捕らえられた古高は最初黙秘したが、土方歳三の拷問には耐えられず、「風の烈しい夜を待って、洛中に火を放ち、その混乱に乗じて天皇を長州へ移す」という驚くべきクーデターの内容を話しました。


2 新撰組出動

池田屋襲撃の約11時間前

新撰組壬生屯所では、普段と変わらない様子を装いながら、3人、5人とバラバラに、白の単衣姿に草履や下駄履きで出かけていったが、その単衣の下には、防具の竹胴がつけられていたのが目撃されています。


3 新撰組、祇園町会所へ集結

池田屋襲撃の約3.5時間前

通常の市内見廻りを装って、壬生屯所を出発した三十名の隊士は、続々と八坂神社石段近くの祇園町会所に集まりました。全員が集まると、近藤勇を中心とするグループ五名は木屋町方面へ、土方歳三を中心とするグループ二十五名は祇園方面へ向かい旅籠などの旅客改めを開始しました。

祇園町会所があったとされる場所は、
現在弥栄中学校の敷地になっています。


4 祇園の茶屋「越房」探索

池田屋襲撃の約2.5時間前

四条通りにあった「越房」に8時45分頃、探索に訪れていました。その約30分後、茶屋「井筒」を調べています。おそらく、怪しいと思われる所をしらみつぶしに調べていたと思われます。

茶屋「井筒」があったとされる、東山区縄手通四条東入ル北側には、現在おはぎ屋さんやお土産物屋さんがあります。 「越房」があった場所は不明です。

現在旅館「金茶寮」となっている「丹虎旅館跡」も、土方グループの探索の対象になったと言われています。長州人や尊攘派の志士たちの定宿で、池田屋騒動前夜、宮部鼎蔵はここに泊まったとされています。
またここは、土佐藩の武市瑞山が仮住まいをした場所でもあります。


5 桂小五郎、池田屋へ立ち寄る

池田屋襲撃の約1.5時間前

桂小五郎は長州藩邸を出て、密会の場である池田屋へ着きました。しかしまだ誰も集まっていなかったため、いったん池田屋を出てすぐ近くの対馬藩の別邸へ向かいました。

長州藩邸があったこの場所は、現在ホテルオークラの敷地になっています。
そしてここは、池田屋騒動のさなか、
吉田稔麿が援軍を求めた先でもあります。

対馬藩邸があった場所には、
現在京都ロイヤルホテルがあります。
この裏に対馬藩の別邸があったそうです。

そして桂小五郎といえば恋人の芸妓・幾松さん。
ここは、桂小五郎と幾松の寓居跡です。
現在は幾松という料理旅館になっています。


6 近藤グループ「池田屋」襲撃

四条木屋町付近から三条方面へ向けて探索を行っていた近藤グループは、「池田屋」へ踏み込みました。突然の新撰組の襲撃を受けた尊攘派の志士達は脇差を抜き、明かりを消しました。暗闇の中で、手探り状態での息詰まる闘いが始まりました。

池田屋の跡には、現在パチンコ屋さんが建っています。
そばには池田屋騒動のあらましや、
殉死者の名が書かれた看板が立っています。


7 土方グループ「池田屋」へ合流

池田屋襲撃の約1時間後

祇園界隈をしらみつぶしに探索してきた土方グループは、池田屋での死闘が始まって約1時間後、ようやく池田屋へ駆けつけ表を固めました。守護職と所司代の手勢三千人が到着したのは闘いがほぼ終わった頃でした。

池田屋騒動の翌日、検証後即死者の死体と付近に倒れて死んでいた者と合わせて九人の遺体を「三縁寺」に担ぎ込みました。ここはその「三縁寺」があった場所です。京阪三条駅ターミナル開発に伴って、「三縁寺」は「池田屋事変殉難烈士の墳墓」と共に、左京区岩倉花園町に移転しました。



池田屋騒動とは関係ありませんが・・・


料理旅館「幾松」さんの向かい辺りに、「佐久間象山・大村益次郎遭難の碑」があります。
兵学者の佐久間象山は公武合体に努めましたが、攘夷派から恨まれ暗殺されました。
兵学者として活躍した大村益次郎は、明治維新以降、兵制改革に反対する刺客に襲われ、その傷がもとで死去しました。


坂本龍馬は、酢屋という木材商の家に仮寓し、ここを海援隊の京都本部として会合を開いていました。現在、池田屋騒動の跡地からほど近いこの建物の2階「ギャラリー龍馬」で、資料などを展示しています。